
画像加工とは、あくまでも人間の手によって生まれる非現実的世界であり、描写力の差によって表現力と感受性をそれぞれ、作る側、見る側とのかけ引きであると感じています。
現代の社会においては、格段の技術進歩によりここ数年の間で表現の自由化が目覚ましい発達を成し遂げていると共に、専門的知識がなくても“自己表現”の世界を簡単に創りだせる事を認知せざるを得ません。
デジタル化が進むにつれ一般家庭への技術訓練は、より必要のないものになっている事は確かで、自宅で出来る〇〇とか、プロ顔負けのテクニックだとか、数年前までは皆飛びついて購入しそうなキャッチフレーズも今では大型家電量販店に足を運べば、ごく当たり前の様に数百の品物がそんなコピーをしている。
もはや“プロ”という言葉が死語になりつつあり、そんなことより“もっと手軽に、もっと簡単に”と、消費者の求めているものの観点がメーカー側とのイタチゴッコになっている気がする。
より洗練された消費者においては、独自性を求めるがゆえに、プロと同じものではなく“プロも知らない”ものを求めている傾向があるのではないかと考えさせられてしまう。
現に、“Apple”の広告を観察すると、そんな独自性ユーザーの追求を見事に捉えよりプログレッシブな購入意識を駆り立てている広告だと個人的に拍手をついつい送ってしまう。
そんなオリジナル思考の輩がデジタルの発展に大きく貢献している。
そして私もまたその一人であるとギャーギャー騒いでいる事も間違いない。
時代の流れに乗っていると感じている優越感はなんとも気持ちがいいものであり、第3者に自分の知識を話した時の達成感は、不思議と気持ちがいいものだとも理解している。
しかし、明らかに自己満足の世界が蔓延している事も事実。
故に、“美”が“綺麗”に変わりつつあるのではないかと感じてしまう今日この頃です。
Sioux
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